3回目の大糸線
2009.12.27 Sunday
先日、今年3回目となる大糸線撮影に出かけてきました。
今回は同僚と自家用車で夜行日帰り、やっぱり24時間で1000km超えました(--;
でも、車を代えたこともあってとっても楽チンでした。
今回は早朝の富山駅に立ち寄り、来年3月のダイヤ改正で廃止、あるいは臨時列車化される予定の寝台特急「北陸」と急行「能登」も撮影。
残念ながら「能登」はなぜかヘッドマークが「臨時」。前日到着分まで上越線が大雪で不通で運休していた影響で、19日に東京方面行きの臨時列車として上京した車両が折り返し使われた模様です(でも、定期列車なのに「臨時」ってどうよ!?)。
臨時列車化に伴い、使用車両も変更されるといううわさもあるので、489系のみによる編成、それにボンネット型は本当に見納めなのかもしれません。
「北陸」も北陸新幹線の延長までは安泰かと思われたのですが・・・。赤いEF81も西日本管内ではおそらく見納めですね。
で、本題の大糸線。
3両しかない車両や撮影ポイントにバリエーションがないため、そろそろ飽きてきたかな(苦笑)
アルバムをみていただくとお気づきかもしれませんが、あまりお勧めできない車による「追っかけ撮影」になっております。
(その道のプロですので)常識的と思われる速度で走行して、結果的に「追っかけることができた」という点は強調しておきます。
なお、この日は幸い幹線道路は凍結・積雪はありませんでした(国道をはずれると積雪・凍結しまくりでした)。
追っかけ撮影する車による事故もあるようですので運転には十分ご注意を。
ところで。大糸線といえば、中学時代に先輩と訪れた思い出の地(!?)です。
最初に訪れたのは、時期の記憶があいまいなのですが、往路に名古屋発金沢行の夜行気動車急行「のりくら」(1984年2月1日のダイヤ改正にて廃止)を利用したことから、1983年の12月だったのではないかと思います。ちなみに、その日ののりくら号で乗車した車両は途中で暖房が壊れて厳寒でした...orz。先輩方は京都から583系夜行急行「立山」に乗車、私も高岡で合流する予定だったのですが、寝過ごして金沢まで行ってしまい、特急「北越」あたりで糸魚川まで追いかけたような記憶があります(^^;。で、帰りは583系「雷鳥」だったのではないかと思います。
これが中学の先輩に誘われての初めての「鉄旅」でした。それから26年。自分にとって「鉄旅」の復活が大糸線がらみなのが不思議に思えます。
26年前の大糸線の車両は車内中央に排気管があったように思うので、キハ52の0番台か、もしかするとキハ55だったかもしれません。当時の写真がないか、正月に実家で探してみようと思っているのですが、窓の下ぐらいまで雪があったように記憶していて、雪の多いところだなーっと感じました。いまは暖冬傾向でそこまで雪が積もることもないのではないでしょうか。あと、今は交換設備の撤去されている北小谷駅で交換した記憶があります。
さて、その大糸線もいよいよ来年3月改正でキハ52がキハ120に置き換えられます。
そもそも、大糸線(JR西日本区間)自体、北陸新幹線の延長開業後に北陸本線が経営分離されてしまえば、JR西日本の路線として離れ小島になってしまうのでどうなるのでしょうか?並行する国道はよく整備されているし、シュプール号のない今となっては、存続の価値がないと判断されてもおかしくないように感じます。